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世界は確かに変貌している。ただ、海の向こうで。

ネットスケープが圧倒的なブラウザーシェアを誇りながらも、海から陸に上がった(MSの土俵に上がってしまった)ことによってあっという間にネットエコノミーの覇者から脱落していったストーリー。

あるいは、かつてパソコンシェアの過半数を握っていたアップルがOSをバンドルして配布するPC(いわゆるWintel)の牙城に脆くも崩壊した物語。それらの数多あるデジタル・サーガの世界がまた大きな節目を迎えつつあること。それはMSがヤフー!買収か!?の衝撃的なニュースに象徴的に現われている。

PS陣営が、任天堂の新しいゲームパラダイムに追従できず(本来のコアコンピテンシーを維持発展させるという、当然の戦略の帰結として)久多良木氏の退任という状況まで至ったプロセスは、確かに上の「土俵が変わった」物語と類似したプロットを感じる。

 
静かに変貌する世界--MSのYahoo買収騒動と久夛良木氏退任が示すもの
 http://japan.cnet.com/column/mori/story/0,2000055916,20348786-3,00.htm


成功体験は、その企業のプライドやルールを強化し組織的な強度を高めることによる成功体験の反復をもたらし得る反面で、同様の価値体系に沿わない競争においてはマイナスに作用する場合もある。
市場が、常に新しい商品やサービスの投入による付加価値創造を希求する以上、その競争圧力がどの方向から訪れるのか?を正確に予測することは本質的に不可能だと思う。

なぜなら、その圧力は成功体験をもたらした価値体系や事業領域の外部から訪れるのが常で、また、その新しい参入者は全く異なる価値観や体験性を引っさげて登場するので従来どおりのルールが通じないことが当然なのだから。

ただ、少なくとも日本のIT市場が、意欲的で才気煥発な新進ベンチャーも含めて、今回のような大きな渦からは遠く距離を置いている。
また、その渦に入っていくべき程の規模の“プラットフォーム”足るサービスを有していないことも事実で(それにヤフー!ジャパンの広告価値や市場価値についても、まだそれほど大きな影響は無い)、「和を持って尊しと為す」の民族性はここに於いても健全なのかもしれない。
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YouTubeはテレビではない。
CNET JAPAN読者ブログにも書いた(「デヴィッドボウイ・プラットフォームは可能なのか?」)のですが、YouTube体験がもたらすメディア試聴態度というのは非常に独特のものがありますね。簡単に言うと「参照可能性」ということでしょうか?

実際YouTubeを知った直後に思ったことは、ただ単に「ネットでユニークな映像にいち早くリーチできる」というポイントが主で、それ以上の体験性は印象に残りませんでした(スプーの祭り上げの時も、その速度と広がりには驚異しましたが、これでここまで映像体験が塗り変わるとは思わなかったのです)。

1)ユーザー創造型
2)ユーザー共有型
3)オンデマンド

簡単にまとめてしまうと、(1)=CGM,(2)=マッシュアップということであり、(3)はデジタルメディアとしては本来そういうものだと言ってしまっても良い特性の様な気もするので、これらの3点だけだとYouTubeならではのユニークさは余り伝わりません。

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サーチの正念場
CNET JAPANの最新記事「B・ゲイツ氏、マイクロソフトの広告ビジネスについて語る」を読むと、まさに突っ込みどころ満載だ。
ここに列挙さえているのは、あくまで「広告手法」についてであって「情報経済」の生態系(エコシステム)を組み替える話ではまったく無い。

これに対してグーグルは、旧メディアとまったく違う情報流通のチャネルをつくった。そのコンテンツも、従来の映画や番組ではなく、「ユーザー生成コンテンツ」だった。(池田信夫blog 『ヤフー!を転落させた男』)

そこに踏み込まない対抗策を幾ら提案しても、それでは何ら実際的な効果は出ないだろうし、戦略的には無駄=資源の浪費というマイナスにもなりかねない。
でも、きっとマイクロソフトに限らず、Google追撃者のほとんどがそんなことは先刻承知だと思う。
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アップル成長の限界? よくある記事から垣間見える競争原理のパラダイムシフト


ゴールデンウィーク突入後にCNETで掲載されたコラム「アップルを待ち受ける成長の限界」は、その記事の杜撰さ、記者自身の誤解・ミスリードなどにより多くのトラックバックを受けており、その結果、「話題性」という点では十分に効力のあった記事だと思う。

ミスリードから見えてくる新しい競争原理

個々の(記者による)誤読についてはそれぞれのコメントやTBを見ていただくとして、ともかくアップルについての記事はとにかく話題になるのだ。

かつての「ワイアード日本版」でもジョブズのインタビューや当時死に体だったアップルを巡る記事は常に注目を浴びたし、音楽配信という限られたセクターに留まらず、ネット経済の今後を占う上ではiPodおよびiTMSについての評価や今後の見通しは避けて通れない。

ただ、この記事を読んで最も感じた違和感は、「そもそもプロセッサーの選択がそんなに大切なことなのか?」と、いう点だ。

かつてのPC黎明期に於いてはプロセッサーの選択はそのプラットフォームの将来を大きく左右する重大事だった。
例えば80年代にはインテル以外に様々な敵対勢力があり、しかもアーキテクチャーそのものが大きく揺れ動きながら方向性を模索していたから(ニューロチップとか、並列処理エンジンとか、中には光コンピュータ、生体コンピュータなど、当時はまだ構想中だったトンデモアーキテクチャーも含めて)非常にホットだった。

しかし、それはもはや競争の重要項目ではない。なぜなら、インテルのアーキテクチャーと全く異なるアーキテクチャーによって新しい市場を構築するためには、単純にプロセッサーを開発と生産するだけでなく、それをインストールして稼動すべきハードウェアおよびソフトウェアの生態系を構築する(あるいは寄生して生息する)必要があって、それは恐らく生半可なコストではないからだ。
たとえ自前で全てを賄わないとしてもプロセッサーの体系あるいはOSや基本アプリケーションも含めた情報処理体系を再構築するのは既に有力企業連合体をオーガナイズするだけでコントロールできるほど簡単ではなくなっている。

「あちら側の論理」のその先は?

また、コンピューティングのダウンサイズとネットワーク化のトレンドは、OSさえもその競争の主戦場から離脱させてしまった(90年代はまだ幾つかの選択肢があった)。いわゆる「あちら側の情報圏」に様々な情報処理サービスが移行している今、搭載OSが何であるか?はもはや余り意味を持たない。だから、オーライリーの記者がPS3に搭載されるのが Linux であることを重要視していることについても違和感がある。

ネットスケープ台頭以降のインターネットブラウザー至上主義でさえもはや陳腐化しているのになぜいまさら「こちら側の」情報処理コア(ユーザーにとっては不可視)のOSに着目するのか理解しにくい。
ただその一方で、グーグルに代表される「あちら側」なのだが、これも遠からず陳腐化されるレイヤーなのではないか?と感じる。

CNET読者ブログの多くがこの「あちら側」の各所をまさに「群盲象を撫でる」状態で喧々諤々しているのだけれど(読者ブログという記事の成り立ち上やむをえない気もする)、これは梅田望夫さんの「英語で読むITトレンド」のバックナンバーを読めば済む話で「構造が理解できれば、後はそれを適用するだけ」でかなりフォローできる潮流なのでは?と、思う。しかも、大局観の無いディティールの詮索では、かえって時勢を見誤る可能性がある。

ただ、問題はそういうことではなくIT経済圏の歩みは既に次の段階に進んでいるのでは?と、いうことだ。

自分自身が特にそれを感じたのは携帯版のミクシーとニンテンドーDSのWiFi環境を「どうぶつの森」を通じて体感したからだ。それはすごくシンプルだが深い体験だった。ただ、とても単純で分かりやすい環境ながらブログ圏の次の情報圏のビジョンを感じることが出来た。

「今そこにある未来」はどこにある?

PC黎明期にマックを触っていた頃、同僚のSEたちはそれを「玩具」だと思っていた。そもそもサンのUNIXワークステーションでさえ、せいぜいオフコン(もはや死語ですね!)のローコスト版程度の認識しかされていなかった。

そして、そのダウンサイズとネットワーク化は、ケータイと携帯ゲーム機に着実に訪れており、それは単に「よりコンパクトに、よりつながっていく」というリニアな変動だけでなく、

「その楽しみ方」
「その使われ方」
「満足感の在処」
「価値観の所在」
「経済圏=生態系」

が大きく変動しているのでは?と、思う。そしてそれはグーグルやSCEという従来のプレイヤーが思いもよらないところから巻き起こっている。
いや、WiFiを仕掛けているニンテンドーはSCEのライバルだからこれは知らないところから突然起こった流れではない。

が、「どうぶつの森」が指し示す未来像にどの程度彼らが気が付いているかというと疑問だ。相変わらずハードウェアスペックと実現できるゲームのスケールやスピードが関心対象になっているように見える。

ニンテンドーのケースは、オールドカンパニーも思考の切り替え次第では幾らでもイノベートできるという実例かもしれない。そこにあるのはゲームというインターフェイスを通じた新しいコンピューティングだ。

また、ミクシー携帯版はほんの端緒だが、ソーシャルコンピューティングが携帯され大容量化していくその先を少しだけ感じさせてくれる。そこに移動する個人というアイデンティティがあること。それは今までユビイクタスと言われていた領域のコンピューティングが、ビジネスやサイエンスではなく日常的にしっかり根を下ろしつつあるリアリティがある。
そして、このことがもたらす産業の変化は余り意識をされていないのが現状だ。そして、「どうぶつの森」ではさらにそれが進んでゲーム的なメタファーの中に社会性と経済性がとてもエレガントに組み込まれている。これも意外と目に見えない潮流の一部だと思っている。


ドラッガーの言う「今そこにある未来」がそこにはある。

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ウェブ2.xとは?
ある新しい兆候が現象化してそれまではただ予感レベルだったことがやがてあたかも最初からそうだったように顕在化する。

そうすると当初クリアーだったその傾向や方向性が流行として世の中に定着するなかで非常に曖昧になり、対象とする範囲やその動向が不明確になる。

そのままシンプルに捉えられたはずのことが枝葉が付いて複雑化してしまい見えにくくなる。

ウェブ2.xは今まさにそう言う状態で、本来的には、

セマンティックウェブ ウェブが意味を扱えるようになる。

 RSSフィードを組織化して扱うような手法により、メディアがオーダーメイド化される。
 ロボットの高度化とウェブのシソーラス化により、自動的に意味編集が行われる仕組みが定着する。


顧客創造型メディア  ブログ、SNSなど顧客自らが相互作用的にメディアを作り出すことが一般化し、メディアとしての影響力を増す。

 双方向的にネットワーク化された媒体が市場のトレンドを引っ張っている。AdWords/AdSenceなどの広告手法が連携することで情報にひもついた経済循環が構築されつつある。


マッシュアップ ウェブサービスがそれぞれのAPIを公開することで、様々なユーティリティが見えないところで相互利用する流れ。

 ソフトウェア再利用により高度なシステムの構築コストが格段に低減すると同時に、顧客行動パターンの捕捉次第で新たな収益モデルの構築が可能になっている。


ソーシャルコンピューティング フォークソノミーに代表されるように、情報のタグ付け、意味や価値の評価を集合知で行っていこうという流れ。

 また、顧客創造型メディアでも、社会的な手続きや意志決定のチャネルがウェブコミュニティ上の手法ツールを通じて解決されつつある流れが顕著。


こういったレイヤーがあり、その先には、

「より個人や組織、地域など社会的な構成単位に対応した新しいウェブコンピューティングのインフラが構築されつつある」

そして、

「社会的な行動体系および経済行為の多くが、さらにウェブ上に置き換え・切り替えられることにより、信用の醸造という社会的的信用担保メカニズムが、ネットならではの新しい解決方法にシフトしていっている」
ように見えます(まだ整理不十分な面もあるので、またこの先書き換えると思いますが)。


なので、個々のウェブ2.x的ツールやソリューションを個別に分析検討する以前に、それらがどのように、

「ツールがルールを塗り替えているのか?」

「その大きなトレンドを通じて、個人及び組織の生活様式あるいは価値観、行動形式がどのように変わっていっているのか?」


を考えるべきなのでは?と、思っています。

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ウェブ2.x 経済原論
コミュニティ経済言論を書こうと思ったそもそも直接のきっかけは当時非常に騒がれていた「贋金事件」と「オレオレ詐欺事件」に感じるところがあったからだ。

まず、そもそも「贋金造り」が悪なのかどうか?と、いうのは議論を要する。なぜなら、現在われわれが普段使っている通貨はかつての兌換貨幣と異なり「金」との交換性が保証されておらず、原理的には国家がある種の贋金造りをしているような状況だからだ。

また、「オレオレ詐欺」というのも非常に象徴的な事件で、サービスとサービスの対価のやりとりという、今まで当然の結びつきとされてきた消費関係がとても希薄化していること。「物財ではなくサービス」の提供を通じたバリューチェーンが、今までの経済行為のリアリティと大きくかけ離れている象徴のように感じたのである。

でも、「贋金なら贋金でしょうがないジャン!」とか「だから結局ネット経済はうそ臭いんジャン!」とか、そういう短絡的なことを言いたいわけではなく、そういった兆候的な事件に「今目の前にある未来」を感じ取って、より新しい価値観として再解釈、再提示できないか?と、思ったのです。

物事には常に二面性があり、また、ネガティブは常にポジティブを、ポジティブは常にネガティブを含んでいる。そう考えるとこういった事件から垣間見える未来の兆しから何か新しいライフスタイルやビジネス環境を読み取るのも意味があるように思うのです。

そういった訳で遅ればせながら目次まで書いて手放ししていたコミュニティ経済原論をぼちぼち書いてみたいと思います。今風に「ウェブ2.x経済原論」とでもしてみましょうか?

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コミュニティ経済原論を振り返る。
去年の1月24日にこのigulogに投稿した「書こうと思っている本の目次」。こうやって過去考えていたことと現状のステイタスを簡単に比較できるのがブログの良いところですね。

内容としては「貨幣への信用の揺らぎ」→「ネットコミュニティの信用醸造の仕組み」→「ネット通貨の登場」っていう流れなのですが、ここで予感していたようなことのかなりの部分は、既に実現・普及しています。

特に「ケータイカルチャー(個人認証装置)」と「インターネット広告(ナノ広告化)」は予想以上の進度でラディカルに進化を遂げています。
また、「相互コンストラクション可能なブログゲームス」も「ニンテンドーDS+WiFiコネクション+どうぶつの森」によって実現している。「ブログオークション」に関しては、アメブロさんが部分的に利用範囲が限定されているとはいえ開始済みだ。

つまりこういうアーカイブは一定期間で定点観測的にアップデートしていかないと駄目ってことですね。1年なんて本当に「瞬間」です。
でも、「本の目次」っていう見立てで考えを(バックアップ的に)整理しておくと、後で振り返りやすい=役立てやすいんだってこともひとつの発見でした。

__

(05.01.24)

今このブログで書いている「コミュニティ経済原論」の章立てです。当然この通りには進みませんが、こういったテーマ性に触れる話題を時事ネタにひも付けて書きます。


タイトル:コミュニティ経済原論

テーマ:ブログが産み出すコミュニティ市場経済の夜明け

チャプター1:リアルマネーからデジタルマネーへ

 勃発する偽札事件
 振り込め詐欺が予感させる「権威」のゆらぎ..
 信用ネットワーク、個人格付けの必要
 →リアル経済を支えるデジタルマネーの可能性

1−2:「ナノ経済」の波

 オープンなプラットフォーム上で稼働するクローズドなコミュニティ。

 ISP(CLOSED)型経済の限界、OPEN型経済循環の可能性。

 ・「機能」によるユーザーグルーピング(囲い込み)の限界
 ・ライフスタイルと結びつかない場所はコミュニティ化しない..

1−3:「ナノ広告」の台頭

 従来型のネット広告代理店が機能しなくなってきている

 ・ページビュー経済の失速。顧客志向型広告の必要。
  →コミュニティの「価値」を換金できない。
  →膨大な不良在庫と化すページビュー。
 ・定性的なコミュニティ価値をすくい取れる広告商品とは?
 ・コミュニティ型リサーチ商品が持つ可能性

チャプター2:顧客志向型消費社会へのトレンド

 ・顧客を待つ
 ・顧客に訊く
 ・顧客に投げる
 ・顧客と作る、一緒に育てる
 ・顧客と楽しむ......

 ※バズマーケティングの事例紹介

チャプター3:コミュニティビジネス・プラクティス

・3−1:ブログ出版

 ・オークション型の出版マーケット
 ・出版システム的な継続稼働が可能になる?
 ・コンテンツ流通のイノベーション

・3−2:ブログゲームス

 ・相互にコンストラクションするダンジョン型ロープレワールド。
 ・相互お持てなしツールとしてのダンジョン空間。
 ・部品マーケットとチップ流通。

・3−3:ブログオークション

 ・膨大な商品情報のアグリケーションを質と量の両面で支える。
 ・ブログコミュニティ全体がオークションマーケット空間になる!
 ・目利きと相場観、相互格付けのセカイ。CtoC1兆円市場の幕開け。

・3−4:コミュニティ型証券(ブログ証券事業)

 (例えば..)
 
 ・社長ブログ銘柄(既に時価総額数千億円規模になっている)

 ・考えられる新業態
  投資審査支援業務
  投資先仲介支援業務
  証券顧客へのコミュニティマーケティング

 ・スモールリスク・ミドルリターン?
  コミュニティの相互信任に基づく投資業務

 ・ハンズオンの難しいベンチャー投資事業
  コミュニティ志向のハンズオンとは?
  コミュニティ志向型のIPOとは?

 ・プライベートイクイティファンドとしてのコミュニティ型証券の可能性とは?

チャプター4:コミュニティマーケットの将来展開と課題

 ・ボランタリー通貨としてのネット通貨は本当に流通するのか?
  ネット通貨はコミュニティ型経済の循環をベロシティupする?
 ・価値醸造ツールとしての「チップ」経済の現状

 ・地域通貨、そう言えば「藩札」とか「軍札」とかがかつては存在した。
 ・遊戯と贈与モデル。ロープレ的ネット経済論へ

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どうぶつの森のファクト
先週の土曜日秋葉原で入手してきたWiFiコネクターをセットして早速「どうぶつの森」のアクセスコードを交換し(mixi内にアクセスコードを交換所があるのですよ!)他の村を初訪問。

いや、すごいデス。これは素晴らしい・・。訪問時の相手の反応..。そこで行われるポトラッチor贈与経済(大金を目の前で捨てるんです!)。
でもって、その返礼としてのご招待およびそこでのやりとり=おもてなし行為の数々..(そりゃ工夫しますよ恩がありますから....そういう意味では、互報的なネットワーク=経済行為の基礎があるんですよね)。

なぜ村を育てるのか?なぜ部屋を飾るのか?なぜ村の住人と付き合うのか?全ては村と村との往来、人と人の出入りに繋がっているのですね。


これはつまりはてなやミクシィと変わらないコミュニケーションのプラットフォームなのですよ。しかも一緒にできるアクティビティの幅と奥行きがものすごく広く深いのです。しかも、マネーがあるし貯蓄や投資もある。この環境が既に200万人以上、WiFi接続で90万人以上にシェアされているって・・・。
「どうぶつの森」ビジネスが発生しても可笑しくないと思いました。


ふぅ。


AppleユーザーもAirMac Base Station があれば繋がります。Windows XP以外のWindowsユーザーも無線LAN対応アダプターがあれば繋がります。しかも、「無料」&「無制限」なんですよ。


下は、それに触発されて考えたDSソフト案です。


「自動作家ロボ壱号(仮称)」

 テーマ 毎日どこかで物語が産まれている。

 内 容 オフィシャルブログおよびソーシャルに集う書き手達
     が架空の作家に対して様々な物語の断片を与えること
     で、ネット内に様々な個性を持った作家が日々育成を
     されていきます。

     DSソフトはその作家アルゴリズムおよび物語断片の
     データベースから紡ぎ出される自動小説を読むことが
     できます。

     自動作家のキャラは性別・年齢・地域・得意分野など
     様々な切り口で選択可能です。

     電車で移動中や旅行中などちょっとした空き時間に読
     めるその場限りのオリジナルストーリーが楽しめます。

     読むたび毎に、それぞれの自動作家はネットから引き
     出したユーザー投稿による物語断片を組み合わせて、
     独自の語り口であなただけのために物語を語ってくれ
     ます。


 セールスポイント

     ネット投稿から生成されるオリジナルストーリーを
     日々無料で鑑賞できる新しいストーリーメディア。

     ちょっとした空き時間を利用できつ暇潰しメディア。
     しかも自分好みの作風やテーマに沿ったストーリー
     (=自動作家)を選択可能。

     特に思い入れがある自動作家ロボはコピーしてDS
     内に保存したり、すれ違い通信で(一部を)送った
     り、WiFi通信で(一部を)交換したりできる。


 技術的課題

     ストーリーの断片をどう扱うか?
     ストーリーとストーリーとのつなぎ目をどう扱うか?
     登場人物の属性パラメーターをどう扱うか?
     登場人物と背景(ワールド)との関係をどう扱うか?
     物語断片データベースからどういうアルゴリズムに
     よって物語生成を行うのか?
     自動作家とユーザーとのインターフェイスにどういう
     面白みを盛り込むのか?..などなど。


ロールプレイングゲームのストーリーのシノプシスって場面転換とかミッションの段階的ステップアップによってもたらされますよね。

それをもっと汎用的にして、剣と魔法に限らず、例えば私小説とか、もっと文学的な内容に適用できるようにすると案外面白い物語体験ができるのでは?って思いました。いわゆるオートポイエーシスのエンターテインメント化・・ってことでひとつ。


どーすか?(誰に向かって言っているのか?・・笑)

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ブログは新聞を殺すのか?
ガリレオが天体望遠鏡のデモンストレーションを行った際に、集まった当時最高級の学者たちは..「地上に対してはより近くに見える素晴らしいこの装置も天上世界に対しては正しく機能しない!」と、断じたそうです。つまり神の司るパーフェクトワールドに月のクレーターのような不完全性が宿るはずがない!からです。

月面の凸凹を映し出した望遠鏡は、間違った装置ということで否定されました(「99.9%は仮説」 光文社新書より)。でも、こんなエピソードを笑うことは現代の我々にもできないかも知れません。


しばらく前のニューズウィークで特集の組まれていた「ブログは新聞を殺すのか?」ですが、新聞という18世紀の発明品を巡ってすでに揺るがないと思われてきた前提条件がどんどんと変化していっていることがレポートされています。

例えば、報道機関の信憑性が圧倒的に揺らいでいる=全米の調査でも「信用する」の回答はすでに2割を割っているそうです。また、判型が雑誌サイズ。要するにノートPCのサイズにどんどん近づいていっている。ブログのソースとしての話題提供サービスという新機軸を探り始めた大手新聞社も出てきている。ネットによる集客を図り、広告媒体の販売は紙面について行うというハイブリッド形態の模索が始まっている。などなど....。


つまり利用される媒体とそのスタイルが変化することで経済の流れが変化し、それに応じてビジネスモデルが組み替えられている。

それはつまり従来の仮説体系=新聞というメディアの成り立ちを支えている仮説ネットワークの組み替えであり、その組み替えを牽引しているのは、それらの価値体系にほとんど組み込まれていない新進企業群なのです。

こうなると、講じるべきソリューションというのは単なる問題解決=トラブルシューティングだけでは機能しません。むしろより状況を悪化させる場合もあります。

なにしろ前提となる様々な仮説体系が機能しなくなってきている訳ですから、「記事のレベルアップ」「信用の醸造」「販売促進」「営業」「ブランディング」などの「既存の仮説体系を前提にした」施策では追いつかなくなってきています。

こういう場合、イシューファインディング=要は仮説の立て方、構造の捉え方、変化の様相の切り出し、市場そのものの見極めなどが、ディティールではなく大所高所にたった俯瞰的視点で成されない限り有効性がないでしょう。


出版業界は幾つかのベストセラーの輩出により幾分胸をなで下ろした感がありますが、グーグルのデジタルアーカイブ化など、実は大きな地殻変動の渦中にあります。で、その構造変化に対してほとんどの出版社は無力に感じます。

印刷会社の二強と流通会社の二強は危機感も強く、そもそもの資本力もあり、さらに言うと経営力が高いためかなりの余力があるように感じますが、今まで霊感山勘第六感に頼って丼勘定でやってきた多くの出版社は今後ますます厳しい市場環境にさらされると思います。

・営業社員を全部切る
・ネットのみを営業ルートとする
・数字のみを舵取りの基本とする
・マーケット指向=個人顧客指向への切り替え

松井証券が若手社長の独断専行で仮説を全て切り替える(上記のような方針転換)ことで一躍ネット証券最大手にのし上がれたのは、社長が日本郵船時代に船舶輸送の自由化とそれに伴う自由競争の激変を経験していたからだそうです。
殿様商売からいきなり自由競争ですから、まさに天動説から地動説の激震だったでしょう。

そして上のような方針転換は、(老舗の証券会社ですからね)当時の全社員から総スカンだったそうですが、だからこそ自主独立の経営を維持できたのでしょうね。要するにピンチ=チャンスなのです。今の日本の出版社にこのような仮説の切り替えは可能でしょうか?


・・無理かもしれない。

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エージェント広告のイメージ
エージェント広告を最初に思いついたときのメモです。
(※かなりイメージのままなので、正直分かりにくいと思います)


 「世間」とのインターフェイス?

  ケータイを通じて会話できる

  エージェント。

  ネット空間と、そこに居住する自分自身のロボット。

   いろんな、

    映像

    通信

    放送

    媒体

    広告

    商品

    商店


 どんなものにも、
 知性がやどるとしたら?


 エージェントは、いろんな知識を自分の趣味で集め、
 自分好みに整理をして、何か袋のようなもの?に収めて
 町を歩き回っている。


 特に目的があって「はじめてのおつかい」にどきどき
 しながら出かけているかも知れないし、もしかすると
 「素敵なオニーサンを連れてくるように!」そんな命令
 をされて、とぼとぼ途方に暮れながら、暮れなずむ路
 傍を歩いているのかも知れない。


 そのうち、いろんな映像や、ニュース、雑誌のモデル、
 絵本の登場人物、ラジオのDJなどなど、いろんな
 エンティティがエージェントになるのかも知れない。


 エージェントたちは、どこからきてどこへ行くのか、
 それぞれ知っていたり知らなかったりするが、
 何かを覚えたり、あるいは忘れたり、とになく何か
 記憶をしたり、それを伝えたり、場合によっては自慢を
 したり、そういったとても人間臭いことをやっている。


 主観的で人間くさい彼らは、僕たちのことをそれなりに
 知っているし、自分達なりに役立とうとがんばっている。

 エージェントは、人と人をつなぎ、コミュニティと人をつなぐ。
 エージェントは、人と商品をつなぎ、企業とマーケットをつなぐ。

 エージェントは関係性をサーチし、コミュニケーションを
 サーチする。

 これはそう遠い未来のことではなく、せいぜい5年とか
 10年くらいで実現する近未来の出来事では無いかと
 思っているのです。



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