CNET JAPANの最新記事「B・ゲイツ氏、マイクロソフトの広告ビジネスについて語る」を読むと、まさに突っ込みどころ満載だ。
ここに列挙さえているのは、あくまで「広告手法」についてであって「情報経済」の生態系(エコシステム)を組み替える話ではまったく無い。
これに対してグーグルは、旧メディアとまったく違う情報流通のチャネルをつくった。そのコンテンツも、従来の映画や番組ではなく、「ユーザー生成コンテンツ」だった。(池田信夫blog 『ヤフー!を転落させた男』)
そこに踏み込まない対抗策を幾ら提案しても、それでは何ら実際的な効果は出ないだろうし、戦略的には無駄=資源の浪費というマイナスにもなりかねない。
でも、きっとマイクロソフトに限らず、Google追撃者のほとんどがそんなことは先刻承知だと思う。
Searchの情報流通を争うにあたってヤフー!=Overtureが、実は先鞭を付けていたことは(まさに「サーチ!」という本で克明に描かれているように)明らかだし、OSというあらゆるデジタル装置に不可欠な階層を握っているマイクロソフトが、最終的にはサーチの入り口をいくらでもリプレース可能であると考えていたとしても不思議ではない。
ただ、問題なのは時間とコストなのだと思う。ここまで収益可能性のポテンツで差をつけられて、そのポテンツを反転できるだけのじゅうぶんなコスト投下ができるのか?といえば相当に難しい。
1)ページビューを瞬間的に獲得する(つまり広告)だけでは、そのポテンツは逆転できない。
2)技術(これは同等以上に能力を有している)やブランド(これも本質的には対等の筈)でも跳ね返せない。
3)Searchの情報流通そのものを一気に反転できる「トータルなシステム(メディアやサーバーインフラなど含めた)」を構築する必要があるが、それには時間=膨大なコストが掛かる。
ここから読み取れる教訓は「情報流通経済がひとつのアイデアによって全て塗り替えられる可能性がある」「その塗り替えの可能性を読み取る洞察力は一流の経営者といえでも持ち得ていない(場合がある)」といったところでしょうか?
彼が2002年にグーグルの買収を断ったのは、数十億ドルという価格が高すぎると考えたからだが、今のグーグルの時価総額は1450億ドルだ。(池田信夫blog 『ヤフー!を転落させた男』)
「ポータルが全て!」「サーチなんて使えない」(この辺りの消息は「サーチ」!に詳しいのですが)と思われていた当時のネット市場で、その頃はまだAdWordsの市場性さえ見えていなかったGoogleの買収コストとして妥当だと計算できたのか?というと相当怪しい。
しかも、「優秀な経営者」であればあるほど、その判断は難しいと思う。「正しさを選択することの間違い」とでも言うのか?そして、これは日本のベンチャー経営者においてもまったく同じことが言えると思うし、それを跳躍できる想像力を有した経営者がどれだけいるのか?というと限りなくレアではないだろうか?